一八九五年(明治二十八年)から一九四五年(昭和二十年)までの五十一年間、日本の統治下にあった台湾で、台湾の人々がどんな気持ちでどんな暮らしをしていたのか、戦後、その人たちはどうしているのか、いまの日本をどんな思いで見つめているのか、といったことを考えた日本人がどれだけいるだろう。
この本の最初のほうに書かれている文章です。
このことについて考えた日本人はそれほど多くはないと思います。
歴史をよく知らないがゆえに、そのことを考えるに至る日本人は多くないと言ったほうが正しいかもしれません。
この本には、日本統治下時代に日本の教育を受けた「日本語世代」の方たちが、子供時代からの自分の人生について語った内容が載せられています。
台湾を旅行しただけではなかなか知ることができない内容です。
台湾を訪れて台湾のことを好きになった方々に、ぜひおすすめしたい本です。
印象に残ったところ
日本語世代の台湾の人々は、かつて心から自分たちは「日本人」だと思っていた
インタビューを受けた日本語世代の方々の語った内容から
女子専門学校まで進学した陳清香さん
・男だったら特攻隊に行って天皇陛下万歳と言って死ぬことを選んだ
・お茶やお花など日本のマナーを学んで身に着けてきた
自分は今の若い日本人より自分は日本人らしい義勇志願兵だった蕭錦文さん
・自分たちが犠牲になるのは、大東亜共栄圏のため
国のためにいつ死んでいくかもわからないけど、それだけ日本人として価値がある・血統的には違うけど、国を想う、国を守る心は同じ
日本人以上の日本人だと自分は信じているパイワン族のタリグ・ブジャズヤンさん
・戦争で負けるまで日本人としか思っていなかった
小さいころから日本の教育をうけて、祖国は日本だとしか思っていなかった・戦争に行くつもりだった、
戦争が終わって日本人が帰ったときは泣いた
教育が人に与える影響の大きさを実感しました。
日本の敗戦直前の一九四四年(昭和十九年)台湾人児童の就学率は約70%だったそうです。
また、パイワン族のタリグさんが当時住んでいたのが高士(クスクス)ということろで、台湾のほぼ南端に位置しています。
こんなところにまで学校をつくって、日本式教育をおこなっていたのですね。
当時の台湾での日本の教育の徹底ぶりに正直驚きました。
日本語世代の台湾の人々は日本に捨てられたと感じている
陳清香さん
・戦争が終わったときは二十歳で、今日から日本人ではありませんと言われた
自分たちは日本に捨てられた孤児のようなもの・日本は台湾を植民地にして、50年も教育して税金をとって戦争に参加させて死なせて
勝手に逃げて帰った
日本人が帰ってしまったから、たくさんの台湾人が中国人に殺された
恨みに思っている蕭錦文さん
・日本に捨てられ、中華民国籍に入れられて悲しかった
日本軍人として戦った相手の敵の国の籍に入れ替えられて、日本政府を恨んだ
人生でもっとも悲しい出来事だった
日本語世代の人々の日本に対する思い
陳清香さん
・台湾人の口惜しさと懐かしさ
解けない数学なんです蕭錦文さん
・日本の皆さんには親しみを感じる 昔の同胞として
自分たちを捨てた日本政府には納得してないタリグさん
・日本人とつきあいたい、信頼感がある
日本人に対して自分の家族、兄弟みたいに想っている
日本語世代の人々が、日本に対して複雑な感情を抱いていることを知りました。
歴史に翻弄され続けてきた台湾の人々に対して、切ない気持ちになります。
まとめ
私は台湾が大好きなだけに、過去の日本と台湾の関係を知れば知るほど、「もっと早くに知っておくべきだっだ、悔やまれる」、そんな気持ちになってしまいます。
「台湾人生」はもともと2008年に制作されたドキュメンタリー映画を書籍化したものです。
私もまだ見ていないので、ぜひ見たいなと思っています。
この本に登場しているインタビューを受けた5人の方々を予告編でも見ることができるので参考にしてください。
今回は以上です。