『汝、ふたつの故国に殉ず 台湾で「英雄」となったある日本人の物語』を読んで、湯徳章という人物を初めて知りました。
湯徳章は父親が日本人で母親が台湾人なので、正確には台湾人でもあり、日本人でもあります。
日本名は、坂井徳章といいます。
日本人が知らない台湾に貢献した日本人の一人だと思いましたので、ぜひ紹介したいと思いました。
湯徳章はどんな人?
「二二八事件」で、自分の命を犠牲にして多くの台湾人を救った人物です。
「二二八事件」とは、日本統治時代後に中国大陸からやってきた国民党政権による台湾人への弾圧の引き金となった事件です。
湯徳章の父親は台湾に渡り警察官として勤めましたが、徳章が8歳の時に派出所の襲撃事件で亡くなっています。
父親を早くに亡くしたので経済的に進学は難しい状況でしたが、頭脳明晰だったため周囲の助力で師範学校に進学します。
しかし教師になることは自分の使命ではないと感じて自主退学し、父親と同じ警察官を目指します。
優秀な湯徳章は警察官時代に活躍しますが、台湾人ということで出世でも差別を受けます。
台湾人差別という環境から、台湾における「人権」の確立を目指し32歳のときに弁護士になることを決意します。
日本にいる父親の弟を頼って東京の中央大学で学び、無事に弁護士になるための試験に合格します。
湯徳章は師範学校を退学したので最終学歴は小卒です。
もともと優秀な人かもしれませんが弁護士の試験に合格するのが並大抵なことではないことは想像に難くないと思います。
日本では、叔父の養子となり坂井徳章として過ごしています。
台湾のために生きることを決意した湯徳章は、台南に戻り弁護士としての人生を歩むことになります。
湯徳章と「二二八事件」
「二二八事件」が発生したときは、湯徳章は参議員という立場でもありました。
台北で発生した「二ニ八事件」をきっかけに、台南でも国民党政府に対する不満が爆発して学生たちが蜂起しようとしていました。
湯徳章は、学生たちを説得して武装蜂起を思いとどまらせて台南の治安を守るために尽力し、一方国民政府に対しては台湾人差別撤廃につながる要求をして交渉を試みます。
しかし国民党政府はもともと交渉に応じるつもりはなく、軍隊を送り込んで関係者を次々逮捕・拷問しました。
湯徳章も逮捕され、日本人でもあった彼は恰好のターゲットとなり、拷問も一般の台湾人より過酷なものであったと書かれています。
苛烈な拷問にあっても反乱に加わった学生たちの名前を一切口にすることなく、最後には台南市内の公園で公開銃殺されました。
湯徳章ゆかりの場所
湯徳章紀念公園
1997年に初の民主進歩党の台南市長として就任した張燦鍙によって、湯徳章が銃弾に倒れた公園が「湯徳章紀念公園」に改名されました。
そこには徳章の半身像が設置されています。
地図で場所を確認すると、その公園は台南駅から林百貨店に行く途中にありました。
(林百貨店は台南の観光スポットのひとつです。本記事に掲載している写真は林百貨店です。)
なんと私も何度も通り過ぎたことがある場所でしたが、当時は湯徳章さんのことを存じ上げていなくて素通りしていました。
湯徳章故居
湯徳章の台南にある旧居が記念館として公開されています。
湯徳章紀念公園からさほど離れていないところにあります。
次回台南に行った際には、湯徳章紀念公園とあわせて訪れたいと思います。
まとめ
本書では、湯徳章を通して当時の台湾の様子も知ることができます。
たとえば、戦争中当時は日本であった台湾にも空襲があったこと、台湾人も日本の兵士として戦争に参加していたこと、北京語を話す大陸からやってきた外省人とはコミュニケーションができなかったことなどを知っている日本人はそんなに多くないかもしれません。
台湾は日本統治時代にインフラ面や教育面において近代化されましたが、台湾人は不当な扱いをされてきました。
それにもかかわらず現在台湾に親日の方が多いのは、台湾に湯徳章さんのような立派な日本人がいたということも一つの大きな要因といっていいと思いました。
今回は以上です。