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台湾の歴史を知る

「この命、義に捧ぐ 台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡」を読んで

 

前回の記事で『汝、ふたつの故国に殉ず ―台湾で「英雄」となったある日本人の物語』門田隆将(著)という本を紹介しました。

「汝、ふたつの故国に殉ず 」湯徳章の生き方を知って

今回は、その本と同じ著者の「この命、義に捧ぐ 台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡」という作品を紹介したいと思います。

湯徳章氏と同様に、根本博氏も日本人にそれほど知られていない台湾に関わりのある日本人と言えるでしょう。

 

陸軍中将 根本博について

終戦時に内蒙古に駐屯していた駐蒙軍司令官として、日本の敗戦宣言後なおも攻撃し続けてくるソ連軍に対抗して在留邦人4万人の命を救った軍人です。

敗戦にともない、国から出ていた「武装解除命令」を根本駐蒙軍司令官が断固拒否することにより、在留邦人4万人を無事日本へ帰すことができました。

その後、1949年に中国共産党と中国国民党との内戦中に発生した金門島をめぐる戦いにおいて、根本博が大きく関わることになります。

 

金門島と根本博

下記の地図上「金門縣」と表記されているのが金門島です。

中国大陸のすぐそばにある島ですが、金門島は台湾の領土です。

中国大陸からはわずか2キロしか離れておらず、台湾本島からは180キロも離れています。

中国大陸と目と鼻の先にある金門島がなぜ台湾の領土なのか。

そのカギを握る人物が今回紹介する日本人根本博なのです。

1949年に中国共産党と中国国民党との内戦中に発生した金門島をめぐる戦いでは、国民党が勝利を収めました。

共産党が台湾を統一する機会を失い、国民党が台湾を守ることができたという歴史的に重要な意味をもつ戦いでした。

その戦いにおいて作戦を指導し国民党軍を大勝利に導いたのが、日本人根本博だったのです。

 

根本博が台湾へ渡った理由

中華民国国民政府主席蔣介石への恩返しのためです。

根本博は、下記について蒋介石に感謝の気持ちをもっていたとのことです。

  • 1943年の「カイロ会談」において、蔣介石の意見が天皇制の存続の決め手となった
  • 敗戦の際、内蒙古にいた在留邦人4万人が日本に無事に送還されたのは蒋介石の方針のおかげ
  •  
    そのために台湾へ密入国をしてまで蔣介石を訪ねて行き、協力を申し出たのです。

    ※カイロ会談
    アメリカ合衆国大統領フランクリン・ルーズベルト、イギリスの首相ウィンストン・チャーチル、中華民国国民政府主席蔣介石による三者会談。
    この会談において連合国の対日基本方針の大筋が決められた。

     

    印象に残ったところ

    根本博氏に関連する人々へのインタビューが本書にはたくさん載っています。

    本人を直接知っている人々のインタビューもあり、非常に興味深いです。

    並々ならない取材量によって、この本が成り立っているというのがわかります。

     

    まとめ

    日本人が金門島の戦いに加わって勝利に貢献したという台湾の公式の歴史には記録されていないそうです。

    台湾を守ることができた歴史的な国民党大勝利に日本人が登場するのはまずいようです。

    恩に報いるために命を懸けて台湾に渡った日本人がいたということは本書で初めて知りました。

    スゴイことをする人がいるもんだと思う一方で、二・二八事件以降、中国国民党政府による弾圧で多くの台湾人が虐殺されたり、戒厳令下で38年間も自由を奪われた台湾の辛く悲しい歴史を振り返ると、根本博氏が命を懸けて導いた金門島の国民党の大勝利に対して複雑な気持ちになりました。

     
    今回は以上です。
     

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